子はかすがい,と言いますが,親になったら誰もが自然に子供を愛せるというわけではありません.中には,血の繋がった子供に憎しみさえ抱く親もいます.その憎しみは,必ずしも子供に対する物ではなく,心の奥深くに潜む自分自身に対する憎しみであったり,あるいは,自分に愛情を注がなかった親に対する憎しみなのかもしれません.理由は何であれ,親から憎しみを感じ,人格を否定されて育った子供は,心に深い傷を負います.
もう一方の親や周囲の人がこの事に気付いても,見て見ぬ振りをしたり,子供を慰めて誤魔化したり,子供の悲しみを否定したり,あるいは一緒になって子供を責めたりする事もあります.こうした事を繰り返すうちにそれが当たり前になり,兄弟姉妹や親戚も不当な子供の扱いに疑問さえ抱かなくなります.目に見える身体的な虐待がないので,表面的にはごく普通の平和な家庭に見えますが,明らかに機能不全家族です.こうして長い年月をかけて作られた歪んだ家族のかたちは,子供が大人になっても消えることはありません.
子供を愛せないことは,罪ではない.でも,その事に向き合わず子供の心を傷つけることは,虐待以外の何者でもない.傍観者である親は,自分が弱いので配偶者に立ち向かえないと思っているのかもしれないけれど,その弱さの陰にあるのは優しさではなく,子供を犠牲に自分を守ろうとする身勝手さです.
義理家族と問題を抱える様になってから,私達は彼らがきいちゃんと交流する事も拒否して来ました.それは,こうした義理家族の振る舞いにきいちゃんを晒したくなかったからです.それは,きいちゃんの尊厳を踏みにじる事にも繋がると感じたからです.私達の頑なな態度は,義理家族や周囲の人からの批判の格好の的になりましたが,これだけは譲れませんでした.
きいちゃんが義理両親からの手紙を見て泣いたのは,きいちゃんの気持ちを無視し,同情に訴えて誤魔化そうとしていることを直感したからだそうです.きいちゃんは,お父さんとお母さんの気持ちがよく分かった,とさえ言いました.何が正解だったのかは分からないけれど,少しだけ救われた気がしました.