大学院留学を機にハワイに引っ越して間もない頃,指導教官が「外国に住んだら差別はされて当たり前と思わないといけない」と言いました.「差別されるのはよくあることだから,いちいち気にしていたらやってられないよ」という意味だったのですが,中国人として日本と米国に居住経験のある指導教官が,さらっとそう言える境地に至るまでの葛藤を,その後長年にわたって経験する事になりました.
大学や研究の世界では,様々な文化背景を持つ研究者たちが,科学であれ,人文学であれ,同じ目標に向かって切磋琢磨しているので,人種や文化の違いを意識することはあまりありません.英語は考えを共有したり議論したりするための道具なので,英語を母国語とする人たちも,そうでない人たちの訛りのある英語を見下すこともあまりないし,訛りはある意味アイデンティティの一つであったりもします.
でも,外の世界に一歩出ると,時々冷たい風が吹くことがあります.あからさまに差別をする人もいれば,異文化や多様性に対して寛容なふりをしながら,無意識の優越感で無神経な発言をする人もいます.20年以上も外国人として暮らしていると,そんな事にも慣れきって流せるようになりましたが,身近な人からそういう扱いを受けると,やはりがっかりします.
私が時々受ける微妙な差別は,黒人が受けて来た悲惨な差別とは到底比較にはならないし,比較するべきではありませんが,差別をする側の人々の心理は同じなのではないかと思います.ジョージ・フロイド氏の非業の死を発端とした Black Lives Matter (BLM) 運動の高まりを見るにつけ,モヤモヤとした気持ちを持ち続けていたのですが,そのモヤモヤを,このCNNの記事が見事に説明してくれていました.
リベラルを自称している白人(或いは既得権階級の人)達は,もし隣の家に裕福ではない黒人の家族が引っ越して来たら,心穏やかでいられますか? もし新しい仕事の上司が訛りのある英語を操るアジア人だったら,その上司を心から尊敬できますか? 恐らく,何の迷いもなくYesと言える人は,ごく少数なのではないかと思います.私の今までの経験からして,有色人種の命は大切だけれど,有色人種が自分と同じように,あるいは自分以上に成功するのはいい気分がしない,と考えている人は結構いると思います.(本人が自覚しているかどうかに関わらず.)言い換えると,有色人種を少し見下しているからこそ優しく接することができる,といった感じです.
差別的な感情を持つ人々の根底にあるものは何だろう,と時々考えます.人それぞれかもしれませんが,恐らく,自分と異なる人種や文化に対する無知・無関心,未知の物に対する恐怖心,それから,自分が優位でありたいという一種のナルシズムが関係しているのではないかと思います.
黒人の命が大切なのは当然で,その当然のことが守られていないから今のBLM運動があるわけですが,そこで止まってはいけないと思います.黒人も,ラテン系も,全ての人が平等に成功する権利と機会を持つ世の中にならないといけないと思います.こんな偉そうなことを書いている私にも,無意識のバイアスはあります.それをしっかりと自覚して,自分にできることから始めていきたいです.